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撃つべきなのは敵か、なにをもって敵とみなすのか。混沌とした戦の中で生きる意味も帰る場所も失った少女の物語である。本書は逢坂冬馬のデビュー作であり、第11回アガサ・クリスティー賞や第19回本屋大賞を受賞した。
1942年独ソ戦が激化する中、主人公セラフィマの住むモスクワ郊外の農村は、敵国ドイツ軍の急襲により一日で崩壊した。赤軍の女性兵士イリーナに命を救われ、「戦いたいか、死にたいか」(p36)を問われたセラフィマは、イリーナが教官として働く訓練学校で狙撃兵となることを決意する。戦争の理不尽さや、女性に対する性的な要求を目の当たりにしたセラフィマは、自分は何のためにここに来たか、何のために戦うかという問いに葛藤しながら、その答えを見出していく。
本作において「セラフィマの生きる意味」と「女性の価値」は大きな主題となっている。「戦争は女の顔をしていない」(p476)主人公であるセラフィマが発言したこの言葉は、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチが手掛けた本のタイトルにもなっている。私はこの言葉を読んだとき、人を生み育てる女性と、人と人が殺しあう戦争は相容れない存在だというメッセージに聞こえた。戦争において性別的価値観の差はどこにあるのか。「みんな違ってみんな良い」という考えが通用しない時代。現代を生きる私たちこそ改めて考えてみてほしい。
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